現役で東京藝術大学に合格、1年で中退後、東京大学に入学、卒業した漫画家のハミ山クリニカさんは「ずっと自分に自信が持てなかった」といいます。
そこには、両親との関係性など、家庭環境の影響がありました。コミックエッセイ『なんで私が不倫の子 汚部屋の理由と東大の意味』(竹書房)では、両親が夫婦ではなく不倫関係だったことや、母からの折檻、汚部屋と化した実家で過ごした日々が綴られています。
本記事では第2話を紹介。汚部屋になっていく実家や、大学受験、実家からの脱出などについてハミ山さんに聞きます。
※本記事は全2回のうちの2本目です

勉強が“逃避先”になっていた
――ハミ山さんは一浪で東京大学に進学していますが、勉強は得意だったのでしょうか。
ハミ山:私の場合は勉強が現実逃避になっていました。勉強すると意義のあることをしている気持ちになれるし、周りに責められることもない。最近もストレスから逃げるためにTOEICを受けました。
10代後半は汚部屋で机が使えなかったので布団を畳んで机代わりにしたり、学校や図書館、人気のない地下鉄のホームで勉強していました。今考えると、勉強に逃げずに外に助けを求めれば良かったのかなと思います。
――ご両親は成績には厳しかったのですか?
ハミ山:「勉強はして当然」という空気がありました。成績が良くても喜んでくれた記憶はないです。
父は国立大学出身だったので、私に期待していました。母は、私をいい大学に入れたら父に褒めてもらえると思っていたのかもしれません。東大受験は私の希望は一切なく、母が決めました。
東大に合格したとき、母は「これで一件落着」と安心しているようでした。もし一浪で受からなければ、合格するまで何年も東大を受験させられ続けたかもしれません。
東京藝大は1年で母に退学させられた

『なんで私が不倫の子 汚部屋の理由と東大の意味 』(竹書房)
ハミ山:私が通っていたのは先端芸術表現科で、絵の技術のみというよりは、芸術に対する考え方や表現のために必要なコミュニケーション能力が重視されていたと思います。
対策がわからず捨て身の受験でしたが、合格でき、短期間でも通学できたことは本当に幸せでした。母に言われるがままに、結局は退学することになってしまいましたが……。
汚部屋化していくことに気づかなかった
――10代後半から実家が汚部屋になっていったそうですが、当時はどう感じていたのでしょうか。
ハミ山:後から振り返ると「すごい状況だったな」と思うのですが、当時はずっと家にいるので散らかっていることを認識していませんでした。
日々を送るのに精一杯で、「片付け」というプラスの思考を生活の中に組み込むことができませんでした。最後のほうは自分たちの手には負えなくなって、業者さんに頼むしかないような状態だったと思います。
――部屋が散らかっていることに関して、お母さんはどう言っていましたか?
ハミ山:山積みになっている新聞紙や洋服を片付けようと母に言っても「あんたのものばかりよ」と言われるので、話し合っても無駄だとあきらめてしまいました。母はすべてのものが私に帰属しているという認識だったのだと思います。
――汚部屋で暮らしていたために、衛生観念が世間とズレていることに気づいたという描写がありましたが、その後変化はありましたか?
ハミ山:自分では改善されたと思うのですが、感覚的なことなので「普通」になれたかどうか判断するのは難しいですね。逆に「気にし過ぎじゃない?」と言われることもあります。
以前、「片付けアドバイザー」の方に1時間2000円くらいお支払いして来てもらったことがあるのですが、とても有意義な体験でした。片付けが苦手な人は外注したほうがいいかもしれません。
実家脱出のチャンスに繋がったもの
――ハミ山さんは、偶然知り合った方に強く背中を推されて実家を出ます。助けてくれたのはどんな方だったのでしょうか?
ハミ山:同じ大学出身の友人の知り合いというだけで、そこまで親しくない人でした。交流があったのはそのときだけで、今は連絡を取ってないんです。もしかしたら他人にお節介をするのが好きな人だったのかもしれません。でも、あまり親しくない人でも他人に対して踏み込むことができるということだと思います。
誰しも親友がいるとは限らないですし、親に支配されて育った人はいろいろな面で世間とズレていたりするので、友人関係をうまく築くことができません。でも、少しでも社会との繋がりを持っていると、踏み込んでくれる人は良くも悪くもいるんだと思います。
中には他人に干渉されることで余計に困ることもあるのかもしれないですけど、私は運が良かったんだと思います。
――問題のある実家を脱出するために、大切なことは何だと思いますか?
ハミ山:家族以外の人と交流することを諦めないことだと思います。学校や会社をなるべく辞めずに、集団に属しておいたほうがいい。そうしないと家の中に閉じ込められてしまうので、社会との繋がりを手放さないでほしいと思います。
自分を大切にする方法がわからなかった
――初めてのひとり暮らしで困ったことはありましたか?
ハミ山:実家はエアコンが壊れているのに汚部屋のために修理に人を呼べなかったので、冷暖房が使えなかったんです。だからひとり暮らしを始めてからも、自分のためにいつクーラーをつけていいのか分からず、暑くても我慢していました。
いわゆるセルフネグレクトだと思うのですが、他にも体調管理に必要な食事やお風呂の頻度など指針となるものがなく、自分を大切にする方法が分からなかったです。
――ひとり暮らしをして良かったことはありますか?
ハミ山:自分でコントロールして、人生が進むようになったことです。友達を作ることができたし、今は結婚して子どもがいます。
実家は汚部屋で机の上に物が山積みだったので、ひとり暮らしをしてから机を使えるようになったのが嬉しくて、漫画を描き始めるきっかけになりました。
何より良かったのは、親と離れたことで親子関係を俯瞰して考えられるようになり、理解しようと試みることができるようになったことです。
今は母に対し「理解できるところもある」

――今はお母さんに対してどんな思いがありますか?
ハミ山:母は孤独だったので、誰にも頼れない中で子どもを支配しようとしたことは理解できるところもあります。
それを私がどうにかしてあげられなかったのか、行政の窓口や、心療内科などの医療に助けを求めることはできなかったのかなと考えることもあるんです。
でも「できなかったから私は家を出るしかなかったんだ」という結論に至ります。子どもの私が母を病院に連れていくのは無理だったし、子どもの責任ではなかった。
もし、私のように実家が汚部屋だったり、親のことで悩んでいる人には「あなたのせいじゃないよ」と伝えたいと思います。
<ハミ山クリニカ 取材・文/都田ミツコ>
都田ミツコ
ライター、編集者。1982年生まれ。編集プロダクション勤務を経てフリーランスに。主に子育て、教育、女性のキャリア、などをテーマに企業や専門家、著名人インタビューを行う。「日経xwoman」「女子SPA!」「東洋経済オンライン」などで執筆。
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